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ジャンプ、マガジン、サンデー、コロコロコミック!少年時代に読んだ漫画で「どんな大人になるか」決まる説

コロコロコミックで育った少年 学びの話

突然ですが、あなたは少年の頃、何の雑誌を読んでいましたか。

ジャンプ、マガジン、サンデー、コロコロコミック。

実はこれ、ただの読書傾向ではなく、その後どんな大人になるかに結構影響している気がするんですよね。

ちなみに僕は、完全なるコロコロ育ちです。えぇ

今振り返ると、僕の人格形成の8割くらいは、ミニ四駆できています。そして、今もコロコロの延長線上にいる。

そう、コロコロといえば、やたらに改造する文化。

ミニ四駆、ビーダマン、ベイブレード。

そもそも「ノーマルで使う」という概念が存在しないのかもしれない。

僕はたぶん、コロコロに脳を焼かれていたんだとおもいます。1,000円を握りしめ、ハローマックに行くのが最高の放課後だった。

そして僕は今、ボールペンを改造して遊んでいます。PayPayをチャージしたスマホを握りしめ、文房具屋さんに行くのが、最高の退勤後です。

だから文房具を買うと、とりあえず分解したくなる。

ユニボールワン3を見ても、「ほぉ、その構造、まだ伸びしろがあるなぁ」なんてぶつくさ言いながら、夜な夜な改造していたり。

普通の大人は、ボールペンを買ったら書いてしまいでしょ。

でも、コロコロ育ちは違うんよねぇ。

まず改造。話はそこからだ。

もっと軽くならないか、もっと重心を下げられないか、異なるメーカーのパーツを移植できないか。

もはやボールペンを使いたいのか、改造したいのか、自分でもわからなくなってきてる。せっかく改造したユニボールワン3、使ってないもん。

コロコロコミックって、そういう雑誌だったんですよ。

「完成品を楽しむ」のではなく、「自分で手を入れる喜び」っていうのかなぁ。しかも恐ろしいことに、あの雑誌、本気でやるでしょ。

アニメ化までして、テレビ東京から電波に乗せて僕たちを洗脳してくる。

ミニ四駆が速いとか、ビーダマンが強いとか、ハイパーヨーヨーがロングスリーパーだとか、冷静に考えれば、どうでもいい。

でも、当時の僕たちは命をかけていたでしょ。

学校帰りに模型屋に行って、ピンバイスを買って、肉抜きを施し、ベアリングローラーに交換して、効果のない謎のアルミパーツに興奮して。

友達のマシンを見て、「うわ、お前それ付けたの!?」って騒ぐ。

あれって、完全に僕ら大人のヲタクと一緒やん。

つまり僕らは、何も変わっていないんですよ。

ミニ四駆がバイクになって、軽量化のために肉抜きしていた少年が、チタンに興奮する大人になっただけだったり、ベアリングの回転性能を追いかけていたのが、今はキーボードの打鍵感を追いかけているだけだったり。

本質が変わっとらんのよ…。

「いい歳してそんなことを」と言われましても、あんまりピンと来ない。

だってコロコロコミックが、

好きなものは本気でやれ
意味がなくても熱くなれ
無駄な改造こそロマン

って教育してきたんだから、そりゃ僕らみたいな大人が育っちゃうでしょ。

一方で、ジャンプ育ちの友人を見ると、やっぱり人格が違うんですよね。

努力、友情、勝利。

奴ら、人生を真正面から攻略しようとしてくるじゃないすか。

部活も仕事も恋愛も、「主人公として突破しようとしてくる」感があるし、声がデカい。あと、仲間を信じがち。僕とは正反対。経営者に多いよね。

そして、マガジン育ちは、ヤンキー文化の匂いがある気がする。

バイク、ケンカ、地元、友情。

奴ら、仲間のためなら身体を張る。エグザイルか倖田組に多い。

あと、サンデー育ちは、なんか理屈っぽいし、奴ら、ラブコメ耐性が異常。

改造はしないけど、ヲタク気質は相当なもので、コンテンツ消費量がNo.1。

それぞれの少年雑誌が、それぞれ違う種類の少年を育てていたと思うと、日本の教育における最大の発明って、マンガだったんじゃないかと思うんですよね。

役に立つかどうかだけで生きると、人間はどんどん乾いていっちゃうじゃないですか。

だから僕は今でも、コロコロコミックの続きをやっているのです。

つまりOSSANとは、『放課後の資金力を手に入れた少年』なのかもしれません。

まるこフランキーでした。ではまた。

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