世の中には、手に入らないと分かると余計に欲しくなるという、人間の業(ごう)を巧みに突いた限定品というものが存在する。
トラベラーズノート 20周年限定 カードサイズセット
公式オンラインショップの画面を開いた時には、すでに時遅し。静かに「まあ、縁がなかったのだろう」と大人の物分かりの良さを気取ってみたものの、心の奥底にくすぶる残り火は消えてくれません。
今週末は僕の誕生日。
せっかくの記念日なので、自分へのプレゼント(という名の、いつもの散財)を妻に買ってもらおうと、自宅から40km離れた馴染みの文房具屋へ。
物欲の神様というのは、諦めの悪い人間にだけ微笑むようにできているようでございます。
店内のトラベラーズノートコーナーの片隅に、それはそれは小さな、しかし僕にとっては後光が差しているかのような「ポップ」が掲げられていたのです。
『他店在庫、お探しします』
店員さんにお願いをして、息を呑んで待つこと数分。
「〇〇店に、ブラウンが1点だけあります。取り置きは1週間とさせてください。」
店員さんの調査結果を聞いた瞬間、腹の中でガッツポーズが炸裂しましたが、ニヤニヤを悟られないよう「いま、会いにゆきます」と紳士的な返答をして、10km先まで車を走らせることにしました。
誕生日という特別な日に、文房具を求めて高速道路を疾走する男とその妻。
客観的に見れば、正気の沙汰とは思えないドライブですが、プロの道楽師たるもの、欲しいもののためにアクセルを踏み込む瞬間のアドレナリンは何物にも代えがたい快楽なのでございます。
こうして僕は、劇的なロードムービーの末に、見事「ブラウン」のカードサイズをお迎えしたのであります。

手元にやってきた箱を開封した瞬間、思わず「おやおや…」と吐息が漏れてしまいました。
ちゃいちー、カワユイ、ウレピー。
ロロマのM5より小さい。ジーンズのポケットはもちろん、使用を想定されていないパジャマの胸ポケットにまでスッポリ収まってしまう、超おままごと級サイズ。
しかし、小さくともそこは流石の20周年。アイデンティティが、ギューギューに詰め込まれていて、良き良き。目がバグる。
使い込む前からすでに熟年のような落ち着きと、ある種の妖艶な渋みを放っている「ブラウン」の革カバーに「違う、そうじゃない」などと、ブツブツ言いながらリフィルをセットしていくぅ。
裏側に刻印された「20th Anniversary」のロゴを指先でなぞるたび、高速代を払ってまで追いかけた甲斐があったという満足感が染み渡る。
これひとつポケットに放り込めば、いつでも身軽な旅人になれるんじゃね?
まさにミニマリズムとロマンの完全なる融合。
完璧な相棒が完成した…かに見えた。
そう、在庫がないからと諦める理由にしていたあの問題。誕生日ということで浮かれポンチでやっちまった、これから始まる沼。
「ペンはよぉ?」

いちばん推しのZENTOシグニチャーでも、頭から派手にはみ出しているではありませんか。
ダウンフォースが効くほどの速度域で走らないのに、巨大なウイングを取り付けたクルマのような、圧倒的な「拒絶」が、そこにはある。
トラベラーズノートを愛する者にとって、「ペンをいかにして本体と一体化させるか」は、人類が火を発見して以来、最もフィジカルで最もプリミティブで最もフェティッシュな問題でございます。
まだレギュラーサイズやパスポートサイズであれば、なんとでもなる。
駄菓子菓子、このカードサイズにおける「ペンどうする問題」は、これまでのセオリーが一切通用しない、禁断の知恵の輪。
革カバーの端にクリップを無理やり引っ掛けるべきか。
それとも、今回セットになっているコットンジッパーケースのジッパーの隙間にねじ込むべきか。
いや、そもそもこの長すぎるペンを合わせること自体が、このミニマルなデザインに対する冒涜なのではないか。
嬉しさと同時に湧き上がる、この贅沢で偏執的な悩み。
利便性を取るために、ペンホルダーを自作するか。それとも、手帳からはみ出すアンバランスさすらも「ロマン」と言い張って突き通すか。
あるいは、このノートのためだけに、さらに新しい「極小のペン」を買いに走るべきなのか…。マジぎゅんぎゅんぎゅん、好きすぎて滅!
手に入れた興奮も冷めやらぬまま、僕はこの子をそっと懐に抱き寄せ、静かに覚悟を決めました。
もはや、底なし沼から生きて帰ることは叶わないでしょう。
僕はこの愛らしくも罪深いTNCと固く結ばれたまま、「ペンどうする問題」という名の玉川上水へ、もつれ合うようにして入水を遂げるのであります。
「恥の多い生涯を送ってきました。この小さきものと共に沈むこと、それが僕の選んだ心中でございます」
旅するように毎日を過ごすための道具。
偏執的かつ泥沼の旅路がここから始まる。
みなさまも、良きにはからえ。


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