やればできる子って本当?その言葉が育てるもの、育たないもの。
やればできる子と言えば、やればできる子に育つのかという話。
お世話になっております。
ピッコロモータース工場長
プロ道楽師のまるこフランキーです。
僕ら40代の人間は、こう言われて育ったのではないでしょうか。
「あなたはやればできる子だから。」
それを本気で信じて40年間生きたらどうなるか、という実験です。
まぁ、被験者は僕なんですけどね。
結果は、やればできる子に育ちました。無事
無事なのかどうかは本人次第ですが、やればできる子に育つことがここに実証されたわけです。お母さんありがとうございます。
先日、有識者の方々とお話をする中で、「何をやらせても、それなりに成果を上げてくる奴いるじゃん。あれってどういうことだか、言語化できる人いない?」というお題をいただいたので、僕はこう答えました。
まず、能力と実力があって、能力は未来、実力は過去を示している。
その中で、能力と実力をリンクさせる為には、センスが必要で。
そのセンスとは、引き出しの多さと、そのチョイスの正確さである。
で、引き出しには2種類あって、直接的体験による知識と、擬似的体験による知識。
人は、直接的体験を過大評価する傾向があるから、過去の成功体験により、誤った選択をしがちである。
そこに、擬似的体験、例えば読書とか、動画視聴とか、他人の体験をインプットしたものを持ち込むわけだけれど。
直接的体験と擬似的体験の配合の割合と、その事象に対してのチョイスが正確かどうか、というところが、それなりに成果を上げてくる奴の成分である。
また、何をやらせても。という点において、具体と抽象を行ったり来たりして、ある意味カテゴライズというか、これってどういう事なんだろうと。
具体的な案件を抽象的なボヤッとしたものに変換をして、引き出しの中に似たような成分の知識があるか検索をする能力。
これが、「何をやらせても、それなりに成果を上げてくる奴いるじゃん。あれってどういうことだか、言語化できる人いない?」への僕の答えである。
ちなみに「何をやらせても、それなりに成果を上げてくる奴」
それは紛れもなく僕である。
ただし、「僕は、やればできる子だから。…今はやらないけどね。」では、やってもできない子に育ってしまう。
どういうことかと言うと、自分がやればできる子であるという強烈な成功体験を経験し、その時の光悦を味わった記憶が擦り込まれてないと、やらない。
つまり、やればできる子を製造するには、投資が必要である。
言葉で言うだけでは、誰でもできるからね。
何を言うかより、誰が言うかという理論によれば、親が成功していなければ、子供は親の言うことを聞いたって、成功しないことは明らか。
説得力がまるでない。
であればだ、てめえが成功していないのであれば、子供には借金をしてでもお金を掛けて体験をさせるしかない。
もし、やればできる子に育てたいならね。
え、別に。やってもできない子でも、子は鎹(かすがい)というのであれば、僕の知る限りではない。
僕は、ピアノ・英会話・少年野球・スイミング・学習塾(国数英理社)と習い事三昧だった。
結果的に、引き出しの多さとそのチョイスの正確さ、そして具体を抽象化して、知識とリンクさせる能力を持っている。
これは、お金を掛けて僕に投資をして、やればできる子と言い続けてくれた母の賜物である。
結果、それが生きづらくなることもあるけどね。頭が良すぎて
どういう子に育てたいか。
しっかり反映されて育ったということが、お分かりいただけただろうか。
あ、あれですよ?
「あなたは幸せ者ね。俺の親はク○野郎で、反発して育ったから。」というあなたも、しっかり親の「どういう子に育てたいか」が反映されていますからね。
親に反発するということは、親の言うことの真逆を選択するわけじゃないですか。
ということは、親がやって欲しくないことばかり選択するわけです。
親は、関心があることしか言いません。突然、「ガラパゴス諸島で新生物を発見してこい。」とは言わないわけです。
大抵が「勉強しろ!」程度のことしか言わない。
親の関心のあることをあえてやらない。
そうすると、親の関心のあることに気付いてしまい、常に罪の意識に苛まれ、それが重要だと気付く。
気付いたのであれば、気付かない人よりも、その事に対して考えている。
つまり、あなたは、親の「勉強しなさい!」の重要性を気付いてしまっている。
何かにつまずいたとき、「原因は勉強しなかったからだ、これからは勉強しよう」と行動する。いつか
それが「原因はガラパゴス諸島で新生物を発見しなきゃ」とは、ならない。
結果、親が「勉強しなさい」と伝えたかったことは、無事、子供に伝わったと言うこと。ミッションコンプリートじゃないすか
いかがでしたでしょうか。
やればできる子と言えば、
やればできる子に育つのかという話。
なるよ。
ではまた。
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