男はつらいよの寅さんに学ぶ、道楽者とは。
お世話になっております。
プロ道楽師のまるこフランキーです。
突然ですが、あなたのまわりに寅さんのような人間はいますか?
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発する、あの寅さんです。
その日暮らしでぷらぷらと放浪し、その破天荒な行動から、一族から疎ましがられる、親戚の叔父さん。
僕にはいました。
僕と名前の漢字を一文字共有する、母方の叔父さんです。
僕のおじさん
そして僕は、幼少期よりその叔父さんから様々な道楽を教わりました。
つまり、僕は道楽界のサラブレッドな訳です。
ある日、野球少年だった僕が、おばあちゃん家に泊まった夏休み。
NHK朝のニュースで放送されたアメリカンフェスティバルという、よくわからないイベントの中継。
叔父さんは突然「行ってみよう!」僕を連れて幕張メッセへ出発。
その時に買ったレイカーズのバスケットボール。
ロゴのプリントがすり減り、滑り止めのイボイボがつるつるになるまで、独りで練習しました。
当時、スラムダンクが流行る少し前で、少年野球の全盛期。
巨人・大鵬・卵焼きの世代を親に持つ僕らのスポーツといえば、当たり前のように野球でした。
そんな世の中でしたので、地元の小学校にはミニバスはなく、僕だけが校庭で毎日バスケの練習をしていました。
やり方も当時Youtubeなどないので、本を読んで独りで練習。
少年野球の素振りの日はすっぽかすのに、独り黙々と、遠距離からのシュート練習にのめり込む日々。
少年野球では県大会決勝まで残るも、中学入学時は、あっさりとバスケ部に入部。
バイクとの出会い
また、ある日は。
バイクに乗った叔父さんが、僕の家に登場。
「いやぁ、近くを通ったからよ、またバイク買ったんだ。今度のバイクはすげーぞー!どうだ、乗ってみるか?」
と、1998年当時、こんなものを売ったらあかんよ、というくらいの、とんでもないスペックで、センセーショナルなデビューを果たしたYZF-R1。
「お母さん、乗ってみたい!ダメ?」
と恐る恐る母に聞くと、当たり前のように
「ダメよ、危ないから」と一蹴。
母が先に玄関から自宅に戻った瞬間、「今だ!後ろ、乗れ!」という叔父さん。
「え、でも、お母さんに怒られちゃうよ。」
と、正常な社会性を有する僕。
でも、バイクに乗ってみたいという誘惑には敵わなかったのですね。
人生初にして、バイクの後ろに乗るわけです。
それも、YZF-R1という化け物に。
国道17号バイパス、埼玉県と群馬をつなぐ、利根川を渡る全長888mの上武大橋。
「しっかり掴まってろよ!!」と叔父さんは僕に叫ぶと、フル加速。
とんでもない風圧に、僕は死を覚悟した。
「ごめんね、お母さん。」
恐る恐るメーターを見ようと、叔父さんの背中越しに前を確認しようとするが、風圧がスゴすぎてヘルメットが浮き出す。
涙目になりながら、なんとか目視したメーターは○○○km/hだった。
「バイクってすごい…」
14歳の僕はとろけた。
もう、ふにゃんふにゃんである。
自宅に届けられた僕は、再び地面を踏めたことに感謝した。
その日から、ありとあらゆるオートバイ雑誌を読んで勉強した。
そして、中学生だった僕は、あっという間にバイクヲタクになった。
そうして今、バイクの仕事をしている。
道楽者とは
僕の母が亡くなったとき、東北ツーリングをしていた叔父さんには、母の死を知らせないようにしようと、ばあちゃんが言っていた。
叔父さんなら、アクセル全開で帰ってきてしまうからだ。
親戚一同、叔父さんのスピード狂には心配していたから、おじさんを呼ばないことに同意した。
でも結局、叔父さんから電話がかかってきた時に、ばあちゃん本人が言ってしまった。
「○○子が、亡くなったんだよ…。」
叔父さんは、600km離れた東北から、一瞬で帰ってきてしまった。
寅さんのような叔父さん、あなたのまわりにいますか?
愛すべき人間。
僕は、そういう人間になりたい。
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