「舟を編む」を読み解く。言葉への愛について作品の魅力をレビュー。

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「舟を編む」を読み解く。言葉への愛について作品の魅力をレビュー。

お世話になっております。

ピッコロモータース代表☆プロ道楽師のまるこフランキーです。

今日は辞書について。

先日、『船を編む』を拝聴しまして。

観たことあります?舟を編む。

辞書編集者のストーリーなのですが、アニメ、ドラマ、映画と、小説から多くのメディアによって映像化されました。

僕は、小説から入ってアニメと映画を観ました。

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刺さる人には刺さる内容ですので、興味があれば是非。

ところで、みなさまにとって、『右』って何ですか?

もしあなたが『右』を誰かに説明するとき、どのように表現しますか?

「お箸を持つ方が右」

と言えば、左利きの人には、間違った右が伝わってしまいます。

日本人が等しく右を認識できる表現ってなんでしょう。

西を向いたとき、北が右。

時計の1時~5時側が右。

10を書いたとき、0側が右。

色々あると思います。

では、北はなんでしょう。

西を向いたとき、右側が北。

これでは堂々巡りでいけませんね。

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僕は日々、そういう面倒くさいことばかり考えているので、妻からは「人の話聞いてないでしょ。」と、頻繁にお叱りをうけます。

ある意味、僕も辞書編集者に向いているのかもしれません。

ストーリーの中で、出版の花形部署であるファッション誌から、辞書編集部に転属になるシーンがあるのですが。

「え、辞書編集部の方が面白そうじゃん。」

って、思ったくらい。

僕の言語のストック量は、もちろん専門家には敵いません。

でも僕レベルでも文章を編むときは、ぐるぐる考えています。

ぐるぐるは、グルグルの方が伝わるのか。

グルグルだと魔法陣グルグルのイメージが強くてポップになってしまいそう。

でも、ぐるぐるだと眩暈がするほど渦巻いているイメージがあって強すぎるかな。

そんなことを文章を書く人間は考えているのであります。

面倒くさい奴でしょ?

ちなみに僕は、三省堂の国語辞典が好きで、仕事場の右手には、国語辞典が置いてあります。

会得、習得、獲得、修得、マスターのどれが適切かな、誰かに習ったわけではないし、独学だから会得かな、みたいな。

微妙な違いでも、言いたいことが違いますね。

舟を編むの中で、「言葉とは」というシーンがあります。

『たくさんの言葉を、可能な限り正確に集めることは、歪みの少ない鏡を手に入れることだ。歪みが少なければ少ないほど、そこに心を写して相手に差し出したとき、気持ちや考えが深くはっきりと伝わる。』

僕たちは日常の中で、本当に伝えたい気持ちや考えが、言語化するタイミングで消えてしまうことがありますよね。

本当は相手を想っての発言なのに、傷つけてしまったり、すれ違ってしまったり、怒らせてしまったり。

自分との対話以外で生じる、相手を想っているからこそ生じる祖語。

「食べる?」

「いや、食べていいよ。」

「そう…。」

自分がお腹がいっぱいだから食べて欲しいのか、お口に合わないから食べて欲しいのか。

あるいは、美味しいから食べて欲しいのか、一緒に味を共有したいのか。

自分は食べたいのか、食べたくないのか。

相手には食べて欲しいのか、食べて欲しくないのか。

本当のところが分からない。

相手のことをもっと知りたいから、ちゃんと伝えて欲しい。

繊細なニュアンスを気にしている人が存在するここ日本において、配慮のない言葉を五月雨式に投げつけてくる人が多い。

「お腹がいっぱい、食べてくれない?」

「僕もお腹いっぱいだけど、少しなら。」

「ありがとう。」

「あ、明太クリームも美味しい。」

「でしょ。明太クリームは美味しいのよ。」

“I’m full,could you please eat?”

ちょっとだけ配慮するだけで、

こんなに円満になるのに。

ではまた。

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コメント

  1. 三文字(i e π)寄れば文殊のヒフミヨ より:

    こんな記事を見つける。

    「舟を編む」に
    ≪言葉とは、言葉を扱う辞書とは、個人と権力、内的自由と公的支配の狭間という、常に 危うい場所に存在するのですね≫
        とある。
    国語辞典に編まれていない【量化】を編んで頂くようお願いします。 
     
     言語における言葉と言葉のセンテンスの主語と述語の入れ替えは、完全に包摂しない【量化】(論理)となる。
     【数そのモノ】の【量化】は、完全に包摂する。
     新井紀子先生の「数学は言葉」の意味を【量化】との言葉で捉えると【=】が【数そのモノ】の言葉として使えるのだ。
    言語において言葉と言葉のセンテンスの中での【=】の意味は、崩れるので使えない。

     四次元まで表象できる自然数【0 1 2 3 ・・・】は、一・二・三・四次元において【=】が使える。

     【数そのモノ】の世界は、人類が神話(カオスのコスモス化)の世界を文明に持つ過程に似ている。
     【数そのモノ】の自然数【0 1 2 3 ・・・】は、カオスを内包(内在)されたコスモスとして眺望でき縮約(縮退)自然数と見えよう。

    この雰囲気は、数の言葉ヒフミヨ(1234)の自然数が大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面(2次元)からの送りモノとして眺めると、十進法の基における桁表示の西洋数学の成果の符号(e i π ∞)[1][0]からの送り返して来たモノとして、自然数のシンタックスと言葉のセマンティックスとして「言語の本質」を垣間見えるようだ・・・

     このナラティブな風景は、絵本の力で・・・

     もろはのつるぎ (有田川町電子図書館)

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