学ぶほどに生きづらくなる僕たちへ:知識と感受性がもたらす苦さと楽しさ

学び 生きづらい 知識 増える 苦しい 感受性 鋭くなる 学ぶ理由 お堅い話

学ぶほどに、生きづらくなる僕たちへ

お世話になっております。

ピッコロモータース工場長☆プロ道楽師のまるこフランキーです。

今日はちょっと真面目な話。

学ぶほどに、生きづらくなる僕たちへ

学ぶって、自由になるためでしょ?

僕もそう思ってた時期がありましたがね。

でも、違うかもしれない、と感じることが増えてきたんです。

知れば知るほど、不自由になる不思議。

たとえば、昔は知らないでスルーできてたことが、今では気になって仕方がない。

政治、世界観、言葉の使い方、ビジネスマナー、芸能界の裏事情…。

知識を得るって、大事だけど。

同時に「何も知らなかった頃の方が気楽だった」と思う瞬間もあるんです。

昔は堂々とやれてたことが「いや、それは配慮に欠けるかも…」って立ち止まってしまう。

僕としては、これ、結構しんどいんよ。

だって、主体的にふざけて生きているんだから。

配慮も何もないだろ、こっちはわざとオモシロで生きてるんじゃい。

僕なりに考えてみた結果。

たぶん「学び」って、感受性と責任を強化する装置なんだと思慮。

感じ取る力が強くなって、同時に「自分のふるまいで誰かを傷つけてない?」って自責の念も強くなる。

つまり、自分の言動に対して「気づく」ようになってしまう。

これは素敵な進化なんやけど、同時に「快適に生きる力」は減るかもしれない。

それでも僕が学び続ける理由、何で学び続けるん?

答えはシンプル、「それが面白いから」。

知ることによって失う快楽もあるけど、それ以上に得られる深みがある。

味わいがある。

厚みが出る。

だから僕は、苦しくても学び続けることを選ぶし、それを「道楽」に変えていきたいと藻掻いてるんよね。

「知る」ことを、楽しみに変える方法…。

たとえば、堅苦しい哲学を『聖☆おにいさん』から読み解く。

ラーメンを食べながら原価率を考える。

看板のフォントにツッコミを入れてみる。

便所サンダルから「文化」を感じ取ってみる。

大げさではなく、どんなことでも道楽になるんよ。

どうせ知るなら、楽しく学びたいじゃん?

しんどくても、そこに「ちょっとしたおもろさ」を入れることで、ぐっと軽くなるよ。

『学び』のせいで、ちょっと生きづらくなってるあなたへ。

それ、ちゃんと成長してる証拠だと思うよ。

だから、焦らんで大丈夫。

その学びを、いつか道楽に変えられる日がきっと来るさ。

僕もまだ途中だけど、ぼちぼち楽しんでます。

何でもない日常も、ちょっといい万年筆とノートがあるだけで「道楽」になったりします。

ピッコロモータースでは、どんな些細なことでも道楽へ昇華させる術式を配信しています。

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まるこフランキーでした。ではまた。

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