道具に振り回されてるようで、案外楽しんでる僕。──万年筆と紙と、道楽と。
お世話になっております。
ピッコロモータース工場長☆プロ道楽師のまるこフランキーです。
先日、横浜のINKで衝動買いしてしまった、M5にぴったりカヴェコの万年筆。
ロロマクラシックさんにセットしていたアッシュフォードの上質紙にメモ…。
が、インクが、まったく、出ない。
「あれっ?」と少し焦る。
ペン先を見て、試し書きをして、キャップを閉めて、しばらくしてもう一度書いてみても…かすれる、出ない、乗らない。不良品?
僕はこの時、なぜか笑ってたよね。
「うわー、この紙、機嫌悪っ。インク拒否、強気やん。」
そんなふうに、まるで“付き合ってる”ような感覚だったのですな。
「使いこなす」と「付き合う」のって違うやん?
バイクだってそう。
クセのあるエンジン音、クラッチの重さ、始動時の気まぐれ。
「それを乗りこなす」のが楽しい、と思ってた時期もありました。
駄菓子菓子今は少し違います。
「その個体と付き合っている」という感覚に、変わってきたんですyo。
万年筆と紙の相性も、似ている気がします。
インクのノリがいい紙と書くときは、確かに気持ちがいい。
時に万年筆にとって“ツンデレ”な紙に当たったときの、あの手こずる感じが、妙に愛おしくて仕方ないんだよね。
つまり僕は、「道具に振り回されてるようで、楽しんでる」んですね。
どうでもいい不便が、どうでもよくない。
この“ちょっとした不便”って、現代だとすぐに解消されてしまうじゃん。あり得ないじゃん
「書きにくい紙?じゃあ違うのにすれば?」
「かすれるならインク替えれば?」
もちろん、それも正解だし。
でも、僕ら道楽者にとっては、“そう簡単に正解に行かない”時間こそが、趣味の本質だったりします。
ガリガリ効率化されて削ぎ落とされた世界にいると、「無駄の中に美しさを見出す力」って、どんどん鈍ってくる。
だけど、万年筆が拗ねてる時のような、あの“無駄なやりとり”の中に、本当に豊かな時間が隠れてるような気がするんです。
相性が悪い、だから面白いんじゃん。
僕の持ってるインクの中に、やたら濃くて粘度も高めのやつがあるけど。
これがまぁ、好き嫌いがはっきりしてて、紙によっては「ぜったい拒否反応かコレ」というぐらいの振る舞いを見せる。
ところが、特定の万年筆&紙の組み合わせでは驚くほど美しく発色する。
つまり、相性が悪いからこそ、その「たまたま合う瞬間」がドラマになる。
これって、人間関係にも似てる気がしません?
誰とでもスムーズにやりとりできる人より、ちょっとクセがあって、手こずって、でもたまに通じ合ったときの喜び。
僕はそっちの方が、ずっと深い気がするんですyo。
「道楽」って、コスパの悪い幸福でしょ?
たぶんね、万年筆のインクが出なかった時、僕はちょっとイライラしても良かったと思うんですよ。
でも、その“無駄”の中に、「うまくいかないことすら面白がる自分」がいた。
道楽って、そういうものだと思います。
効率じゃない。コスパでもない。
それをやることで、自分がちょっと機嫌よくなる。
そんな世界に、ひとつぐらい身を置いていても、いいんじゃないでしょうか。
「道具に振り回されるのが、趣味の始まり」というわけで、今日のまとめ。
万年筆と紙の相性は、恋愛に似ている。
上手くいかない瞬間すら楽しめたら、それは立派な趣味。
ちょっと扱いづらい道具たちに囲まれて、「うまくいかんな〜」とヘラヘラ笑いながら、今日もまた遊ぶ。
まるこフランキーでした。
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