苦しかったときの話をしようか|フーテンの僕がマーケターのために書きあげた「体たらく人生」

苦しかったときの話をしようか|フーテンの僕がマーケターのために書きあげた「体たらく人生」 道楽な話

お世話になっております。

ピッコロモータース代表、プロ道楽師のまるこフランキーです。

いよいよ本格的に、マーケティングの話でも。

YoutubeとInstagramに洗脳されて、無課金ボケしたみなさまには、超有料級のお話になると思いますので、最後までしっかりと読んでみてください。

僕は、経営学部マーケティング学科という、当時はマーケティングを専門で学ぶ、日本で唯一の大学を卒業しております。

一般的に商学部というのはありましたけどね。

大学の6年次には、マーケティングの基本原則『4P』を3つしか答えられず、教授に「お前それじゃ3Pじゃん」って卑猥な突っ込みを受け、まだ高校を出てきたばかりの田舎くさい新入生に苦笑されるという、普通に勉強していたら味わうことのできない体験をしています。

そんなレジェンドマーケターの僕には、僕のことを心配してくれる奴がたくさんいました。

僕が一度も出席したことない講義を心配し、「コピー取らせてくれませんか?」って最終日の試験前に、僕の代わりに女の子をナンパする友人。

僕だったらそんな破廉恥で大胆なことは言いませんね。

マーケティング紳士ですから。

おかげさまで、綺麗にまとめられたノートを、生協のコピー機で完コピ。

なけなしのお金でコピーした数十枚のノートは、結局見返すことはありませんでした。

その間友人は、彼女の連絡先を聞いたり、会食の予定を立てたり有意義な時間となったので、僕は役に立ったのです。

持ちつ持たれつ、ってこういうことです。

また別の友人は、『試験は教科書持ち込みOK』かつ『出席率を考慮しない』講義リストを作成して、僕の留年を阻止しようと尽力してくれました。

まぁ、試験に教科書を持ち込んでも、何を吟じているのかまったく意味不明なんで、何にも書くことできないんですけどね。

その教科書は、将来の日本を担う後輩のためを想って、試験の帰り道にブックオフにお嫁に出しました。

その後輩が、日本を牽引するマーケターに育ってくれたと想うと、感慨深い。

昔から本は、文豪達のなけなしの資産として、質に入れるのが正しい道。

ブックオフからいただいた日当は、その晩の酒の肴として、なんこつの唐揚げに昇華されました。

僕は、本としての天命をまっとうさせてあげられたことに、安堵しました。

まぁ、来年度も同じ講義を履修して、また買うことになるんですけどね。

そんなキャンパスライフにも『体育』があって、選択科目にバスケットボールがありました。

僕は三井寿に親近感を抱いていたのと、教員免許取得に体育が必須だったので、バスケだけは出席していました。

経営学部マーケティング学科だったのに。

とはいえ、ミッチーと違い、マルボロを5分に1本は吸っていた僕は、4回目くらいで自主ドクターストップになります。

そのうちに「大学は学びに行くところ。なぜバッシュを持って行かなければならないのだ。そんな余裕はない。」と、新聞配達をしながら大学に通う勤労学生のような台詞を吐いて、僕のバスケは、早々にシーズンオフとなります。

結果的に僕は、大学1年間で40単位中、4単位を取得することになります。

これは中退された雄志達を除けば、最少の単位数でしょう。

これが僕がエリートマーケターと呼ばれる所以(ゆえん)です。

ではまた~。

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