レビュー|完全メシを食べて思った

お世話になっております。プロ道楽師のまるこフランキーです。
この前、夫婦で「完全メシ」を食べたんですよ。めっちゃ楽しみにしてて
「栄養バランス完璧」みたいな言葉って、だいたい味が置き去りじゃないですか。
僕は日々道楽で忙しいので、BASEやHUELを試したこともあるんですが、「そりゃそうだよね」って味がするんですよ。
でも、日々のタスクをこなすのに精一杯で、仕方のないことも人生にはあるじゃないですか。僕も彼らにだいぶ助けられましたし。
これらは、片付けもいらないし、罪悪感もない。
そして、完全メシはちゃんとうまい。いったん、これ一食で全部済む。
人類はついにここまで来たか、と思いましたね。
そんな風に感動してると、ふと頭をよぎっちゃうじゃないですか。
「これ、全部の食事を完全メシにしちゃえばいいんじゃないか?」
食の最適化は、もうゴールしている
僕だって、妻と贅沢なコース料理をいただくこともあるし、寿司を食べに行ったり、肉が足りない時は焼肉に行ったり、それこそ、ニンニクが足りてない時は二郎系ラーメンを食べたりしますよ。
でもね、仕事をしていたりして、緊急で重要でないことをしている時(今そこにある危機)に対処している時って、必ずしも豊かな食事ができるわけじゃないですよね。
そこで、完全メシって、ある意味で効率化の到達点なんですよ。
バランスも、時間効率も、価格も、全部計算され尽くしている。
忙しい人にとっては、理想的なソリューションじゃないですか。
それこそ、食べることを「タスク」として考えるなら、完全メシは完璧な正解です。
それでも感じた「物足りなさ」
でもね、完璧なはずなのに、どこか静かすぎる。
味に不満はないし、いったん、空腹も満たされる。
けど、食卓の「余白」がなくなった感じがした。
たとえば、カレーが少し焦げちゃったーとか、味噌汁がちょっと濃くなっちゃったー、とか。
味の揺らぎこそ、料理ではないのか。
完全メシが最適化だとしても、人間の食卓は、愛おしくあるべきではないのか。
ついに僕は、そこまでの次元にたどり着きましてね。
思ったんですよ。
完全メシを魔改造すればいいのではないか、と。
そう気づいたとき、僕の頭に浮かんだのが、土井善晴さんの『一汁一菜』でした。
「なんでもね、お味噌汁に入れてしまえば、えぇんですよ。」
そうだよね、土井さん。ありがとうございます!
僕はその教示により、完全メシをさらなる高みに連れていけることになりそうです。
用意するもの
・完全メシ:汁なしカップヌードル
・お湯
・好きなトッピング
「正しさ」から「丁寧さ」へ
土井さんの言葉に、こんな一節があったか、なかったか、私は知りませんが。
「一汁一菜でよいというのは、食事を簡単にしなさいという意味ではなく、食べるという行為に、心を戻しなさいということです。」なんかそんなこと言ってそうじゃないですか?
この話に、救われる人は多いと思います。
「ちゃんと食べなくちゃ」とか「栄養を考えなきゃ」とか、そうやって自分を責め続ける現代人に、「頑張らなくていいんだよ。」と言ってくれている。
効率化の先で、人間の温度を取り戻す。
さぁ、完全メシ:汁なしカップヌードルにお湯を入れましょう。
5分経ったら、湯切りのフタを開けてっと…。
いや、5分経っても、お湯は捨てないでくださいね!!
一汁一菜だって言ってんだから。焦るなよ…
そこに土井さんが出てきてね、「ファミチキでも、からあげクンでも入れたらいいんですよ。」って言ったか、言わないか知りませんが。
合いそうだと思ったら、なんでもね、入れたらいいんですよ。
僕ならね、ニンニクを足したりね、パクチーを足したりね、なんでもこう、ぱぁぁぁぁっ!と。包丁も使わずに、入れられるもんを入れたらいいんですよ。だいたいうまいから
汁はね、捨てる必要は、無いですよ。えぇ
汁はね、身体も温まるし、麺の煮汁にも余計な栄養が入ってるわけだから、それを余すことなくいただきましょうよ。塩分はね、どうせ湯切りした後に足してるんですから、どっちでも一緒でしょ。
ここまでいったらね、どんぶりにね、完全メシのカレーメシも一緒に入れたらいいんです。そしたら、カップヌードルのカレー味みたいになって、ごはんも食べれて、2倍の栄養が取れるから。
とにかく、「一汁一菜でよいというのは、食事を簡単にしなさいという意味ではなく、食べるという行為に、心を戻しなさいということです。」
好きなものを入れたらいいんです。
結論:完全メシも一汁一菜も、どちらも「正解」
完全メシは、現代の合理主義の象徴。
一汁一菜は、暮らしの原点。
どちらが上とか下じゃない。
どちらも「有識者が考え抜いた結果」じゃん。
大事なのは、どちらも食べることに真剣であるということ。
だったら、魔改造したらえぇやないですか。えぇ
まるこフランキーでした。ではまた。


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