バイクと万年筆に見る、日本の職人の歴史──外の趣味と部屋の趣味を持ちなさい
お世話になっております。
ピッコロモータース工場長でプロ道楽師のまるこフランキーです。
みなさま好きなモノはありますか?
僕は、バイクと万年筆が好きです。
昔から母に「部屋の中でやる趣味と、外でやる趣味を持ちなさい。」と言われてきました。
母は園芸と手芸が好きで、趣味に生きた人でした。
僕はと言うと、16歳でバイク、20歳で万年筆と出会っています。
部屋の中でやる趣味は万年筆、外でやる趣味はバイクと、気がついた頃には、まさに母の遺言(僕の記憶に残っている数少ない母の言葉)を遂行していたのであります。
お陰様で、妻に支えながらも、人生楽しく生きております。ありがとう母
晴耕雨読ではないですが、人生には、外でやる道楽と、部屋でやる道楽の2種類が必要だと、本気で考えております今日この頃。
おもしろきことなき世をおもしろく
本来の意味とはちょっと違いますが、あえて流用させていただきますと、そういうことです。
バイク、万年筆。
このふたつ、共通点があります。
みなさん、何だか分かりますか?
それは、元々は海外が主役だったモノ達であって、日本人が舶来品に憧れ、職人が真似て製造しているうちに、いつのまにか本国を凌駕し、それに飽き足りず、日本独自の技術で世界を席巻してしまったモノ達です。
これらは俯瞰してみると、欧米から始まった製品達。
一部の知識人が海外へと往来し、その機能に衝撃を受けて日本に持ち帰り、なんとか製品化できないものかと試行錯誤しているうちに、日本の文化を取り入れ、それが海外で大ヒット。
逆輸入の様な形で世界中から絶賛されている製品達です。
そういう意味では、日本刀や着物のように、島国のオリジナル文化とはまた別の進化をしていると思うのです。
要は、メイドインジャパンの工業製品ですよね。
日本の工業製品の大きな特徴として、「均一化された高品質」というものがあると思います。
これは、世界中で大絶賛されている、日本の製造業の誇りではないかと。
人類が大量生産、大量消費を味わい始めた20世紀。
日本も同じ道を辿るのですが、黎明期は、日本人が日本人の為に作っていたというのが本質だと思います。
安定供給し始めると、元々日本は工芸文化ですから、独自の進化をしていきますよね。それが海外勢からしたら面白い。
職人の粋ってやつが、自国では気付かぬうちにスゴいことになっていたのです。
例えば、万年筆だったら、軸に蒔絵を施したり、螺鈿(らでん)をはめ込んでみたり、印伝で巻いてみたり。まぁ素敵
バイクだったらモンキーのようなミニバイクも、どうして小さいバイクを作るのか、海外勢からしたら意味が分かりません。
モンキーは元々は、多摩テックの遊具でしたから。日本人が遊ぶために作った乗り物。
それが今は世界中にファンがいる。
それらが大量生産され、なおかつクオリティが均一化されている。すごいな日本ってなってる。
ただし、世界的に見ると、均一化されたモノが必ずしも高評価かというと、そうではないというところが難しい。
時計で言うと、メーカーではない独立時計師さんが作る一点物の腕時計や、万年筆であってもオーナーの好みが反映された彫金装飾や、独自のチューニングが施されたペン先が高評価であったりする。
それは、海外には、貴族文化があるからで、大衆全体が底上げされるような工業製品ではなく、他者との差別化、ブランディングといったステータスが今なお残っているから。
モンブランは、ファッションブランドと化し、昔からある作家シリーズに続き、マリリンモンローモデルやエンツォフェラーリモデルなど、限定モデルを続々とリリースし、元々の万年筆はどこかへ行ってしまったのかと思われるほどの高騰ぶり。
フェラーリのフレームの溶接や電装関係は、日本車から比べると欠陥車レベルですが、そういうことではないのは、貴族文化だからです。良い悪いではなく
つまり、何が言いたかったかというと。
バイクも万年筆も、日本人が作ると高品質でかつ均一化されていて、道具として一級品だと言うこと。
僕は、道具は一級品が大好き。
それは、道具だから。ステータスを競う、装飾品ではないから。
国産の万年筆だったら3万円も出せば、一級品。
日本文房具屋の老舗、銀座伊東屋の万年筆コーナーは、海外旅行者で溢れかえってますよ。
今や世界中のファン垂涎の、日本が誇る万年筆。
あなたも一本いかがでしょうか。
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