アルファードに乗るとドヤる奴|車は生き方を映す鏡

お堅い話

アルファードに乗るとドヤる奴|車は生き方を映す鏡

お世話になっております。ピッコロモータース工場長、プロ道楽師のまるこフランキーです。

今日は思い切りアルファードをディスる記事を書こうと思いますので、アルファード乗りの方は退出いただいたほうが身のためです。

最近ね、こんな話を聞いたんです。

「俺、アルファード乗ってて。友人から凄いねぇ、出世したねぇ!って羨ましがられるんだけど。この前、東京に出張に行ったら、アルファードだらけだったんだよね…。」

僕はこの話、とても興味深く聞いていました。

「あぁ、人間って、自分を大きく見せたい生き物なんだな」って。

アルファードって、最早クルマというより、自己演出装置なところもあるのではないかと。

あのフロントグリルのメッキの輝きと、冷蔵庫のような迫力のリアビュー。旅客機のようなコックピットに乗ると、自分が社長になったような錯覚になる。

でも実際は、ドンキホーテの駐車場で、隣にはワゴンRが停まってるんですよ。助手席には、スマホゲームをしていて、会話する気などサラサラない、妻。後部座席には、情熱価格の大容量スルメと、同じく炭酸水と、ブラックニッカ4L。

……現実って、そんなもんです。

人はなぜ、あそこまで「デカくて威圧的な車」を好むのか。

たぶんね、“不安”なんですよ。自分が小さく見えるのが怖い。

けどね、威圧感って本来、中身がある人が自然と持つものです。それは、覇王色の覇気だったり、帝王学からくるものだったり、自然と超サイヤ人な奴だったり。

メッキはいつか剥がれる。

600万円を、残価設定ローンでヒイヒイ言いながら支払う。

地金が安っぽいと、バレるんすよね。

アルファードを見てると、いつも思うんです。「今日もそいつ(運転手)を守ってくれて、おつかれさま!君はエライぞ。」ってね。

仕事でも家庭でも、うまくいかないことは誰にだってある。人に舐められたくないときもある。

でも、ハンドルを握って、自分が偉くなったような気がするのは危険だ。

僕は、古いカブでも、軽バンでもいいと思ってる。こだわりがあれば。

そして、ハンドルの向こうに、自分の生活がちゃんと見えてれば、それでいい。

誰かに見せるための車じゃなく、自分と向き合うための車を選ぼうじゃないか。

ちなみに、僕のクルマ、デミオちゃんは、1.5Lディーゼルターボ6速マニュアルだ。

アル乗りから見たら「なんだデミオか、雑魚め」かもしれません。

駄菓子菓子、本当にかっこいい人は、声を張り上げなくても伝わる。

僕の友人で、バイクもキャンプも大好きな奴がいるんだけど。

プライベートでは、バカでかいピックアップトラックにオフロードバイクを積んで、キャンプする。ドロドロになるからトラックがいいらしいのだけど。

彼は残念ながら、社長なので、会社の指示でアルファードに乗せられている。運転は秘書がするから、自分はまさにアルファードに載せられている。社長積載車だ。

社用車としてアルファードをあてがわれた時、「嫌だよ、ハイエースにしてくれよ。その方が便利じゃん。」と言ったらしい。

しかし「社長、ハイエースは貨物車です。安全を優先し、アルファードに乗ってください。お願いします。」と説得されたという。

アルファードに乗っているからといって、偉そうに出来る理由など、どこにもない。

そもそも、アルファードを運転している時点で、井の中の蛙。

専属の運転手がいて、公共交通機関で移動するのも問題がありますから、できる限り後部座席で大人しく移動してください。そういう車でもある。

アルファードが悪いわけじゃない。素晴らしい車だと思う。

ただ、あの車に「自分を大きく見せる力」を借りている時点で、もう負けなんじゃない?って話。

車は、飾る鏡じゃない。自分の生き方を映す、ひとつの姿勢でしょ。

だから今日も僕は、ノーマルマフラーで静かに走ります。

見せびらかすより、噛みしめる。それが、僕流の道楽だから。

まるこフランキーでした。ではまた。

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