万年筆は現代の刀|男は上等な万年筆を持つべき理由

男 万年筆 意義 一本 お堅い話

万年筆は現代の刀|男は上等な万年筆を持つべき理由

お世話になっております。

ピッコロモータース工場長でプロ道楽師のまるこフランキーです。

本日は「男が万年筆を持つ意義」についてお話したいと思います。

刀と万年筆の共通点

男が万年筆を持つ意義とは何か。

それは、ただの筆記具を超えて「生き方の象徴」になるということです。

侍にとって『刀』が魂であったように、現代を生きる僕たちにとって、万年筆は知の象徴であり、姿勢を正すための道具といえます。

かつて侍にとって刀は、日常で抜くことはなくとも、武士の存在そのものを支えるものでした。

腰に差すことで己の心を律す、それは万年筆も同じではないでしょうか。

ノートや手帳に書くとき、ただの「字」ではなく、自分の考えや覚悟を形にして残す瞬間になる。

万年筆を取り出す仕草ひとつで、自分自身も「少し背筋を伸ばそう」と思えてくる。

刀を磨き、手入れすることが侍の務めだったように、万年筆をインクで満たし、ペン先を洗浄する行為は、自分を整える儀式に近い。

上等な一本を

侍はどれほど貧乏でも、刀だけは粗末にしなかったという。

なぜなら刀は、彼らの誇りであり、身分を示す唯一のものだったからです。

それは、現代の男たちにも通じるものがあるのではないでしょうか。

今、NOW、どれほど財布の中身が心許なくても、上等な万年筆を一本を持つことから始めてみたらどうだろうと、僕は思う。

初めての万年筆にオススメの1本として、1,000円で買える「カクノ」を紹介する人が多いじゃない?安い万年筆は何本揃えても、それはただの道具でしかない。

色沼にハマることがわかってて、インクひと瓶につき万年筆一本必要なんだったら仕方がない。

でも、見栄でいい。背伸びしてもいい。少し高いと感じる万年筆を一本だけ持つことで、「この一本にふさわしい人間でありたい」と思えるものではないでしょうか。

その気持ちこそが、万年筆を「刀」たらしめる。

使うことの意味

刀は所持するだけでなく、いざという時に抜くために存在する。

万年筆もまた、書いてこそ輝く。

大切な人に手紙を書くとき。自分の心を整理するために綴るとき。

そんな瞬間に万年筆を走らせると、言葉はただの文字ではなく、「斬れ味」を持つ。

(そんな、書類にサインする時なんて、ないよ。というあなたは今、そういう立場にいることができていないってこと。)

インクが紙の繊維に少し滲んで、自分の癖を帯びていくほど、それは世界で唯一の「刀」になる。

そして、長い時間を共に過ごすうちに、ペン先は持ち主の書き癖を覚え、まるで体の一部のように馴染んでいく。

その境地に達したとき、男は初めて「自分だけの刀」を手にしたと言えるのだと思う。

一本の見栄が、未来を変える。

万年筆を持つ意義は、実用性ではない。

むしろ「実用以上のものを背負う覚悟」にこそ価値がある。

誰だって、最初は「ちょっと無理して買った一本」から始まります。

僕はオートバイの仕事しかしたことがなく、いつか、パソコンで仕事をしたい、という夢があった。

今、こうして、工具よりペンを握っている時間が多くなったのは、一本の舶来物から始まったストーリー。

その時の一本は、絵描きを目指す学生にプレゼントしてしまったので、旅立ってしまった。でも、僕がプレゼントした一本から、日々の所作を変え、考え方を変え、やがて生き方まで変えていくのかと想像すると、ちょっと楽しい。

貧乏でもいい。見栄っ張りでもいい。男は、自分を律する象徴として一本の万年筆を持つべきなのだ。

僕たちは現代を生きるうえで、自分を支える魂のようなものが必要なのです。

侍が刀を差して街を歩いたように。

まとめ

男にとって万年筆は刀である。それは、ただの筆記具ではなく、誇りを示す存在。

安物でごまかさず、一本の上等な万年筆を。

それを所有し、使って、育てることで「自分を磨く物語」が始まる。

会社の備品のボールペンで、仕事をしたらダメですよ。

男たちよ、万年筆は、上等な一本を持とう。

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