まるこフランキーとは?バイク経歴・実績・プロフィール紹介
お世話になっております。
プロ道楽師のまるこフランキーと申します。
本業は、モーターサイクルコンサルタントです。
諸元表
ピッコロモータース工場長
製造:1984年 41歳
生産国:埼玉県
バイク以外の趣味:ペンと紙・読書・キャンプ・ギター
好きなバイク:全部(箱推し)
バイク遍歴
◇16歳から現在まで30台ほど乗り継ぎ、最多同時所有8台、バイク投資額は2,500万円以上
◇結婚時には1台を残して全て売却。最後の1台も売却しようとした時、「全部売ったらあなた腑抜けになる!それじゃ私が困る。だから絶対に売らないで!」と泣いて訴えられるという、妻公認のバイクバカ。
- 2000年|高校1年生 原付免許取得
- 2007年|バイク用品店で働く
- 2010年|ハーレーダビッドソンドラッグレース優勝
- 2014年|愛車遍歴20台 同時所有8台 バイク投資額2,000万円
- 2016年|結婚 1台を残しバイク全て売却
- 2020年|妻とタンデム20,000km達成 Vストローム650
- 2021年|GSX1100カタナを購入
- 2025年|XR250BAJA・ジェンマ50 合計6台のバイクライフ
バイクヲタク
親戚のおじさんがバイクに狂っていて、よく乗せてもらっていた幼少期。初代 YZF-R1のタンデムシートに乗せてもらった日は、強烈な加速に痺れすぎて、夜しか眠れないほどでした。
そんな経験をしたら、当然、16歳の誕生日が待ち遠しい。おじさんに頼んで(親に内緒で)RZ50という、かっちょいいバイクを買います。ただし、当時は2ストも4ストも見分けがつかないくらい、ただの原付小僧でした。
「どうしたらみんなみたいに、野太い音になるんだろう…。僕のバイクは調子が悪いのかなぁ。」バイク屋のおっちゃんに騙されたのかな、なんて。
自分のバイクのマフラー音が「ビーーーーーン!」としか鳴らないことに不満をいだいた当時の僕。速かったけどね
それがチャンバーだからだ、と気づかせてくれたのは、買ったバイク屋のおっちゃんが教えてくれたから。その事実に、ショックを受けるほど無知でしたね。チェーンに5−56吹いてたし。(バイク屋のおっちゃんに「○ぬぞ!」って、めっちゃ叱られた)
RZ50は高校3年間を、たくさんの甘酸っぱい記憶で満たしてくれました。
セパハンにカスタムしたり、極太ZEROチャンバーに換装したり、部品交換会に突撃してみたり…。そのころから地元のオートバイ用品店、南海部品に通うことになります。
土日は、峠を走ったり、ツーリングに出かけてみたり、とにかく毎週末RZ50に乗った。南海部品でステッカー買ったり、オイル買ったり、駐車場に集まる大人たちのかっこいいバイクに憧れて。お金なかったからね。そんな高校生活を送りました。
さて、やっぱり自分のバイクのマフラー音が「ビーーーーーン!」としか鳴らないことに不満を抱いていた僕。RZ50のカスタム部品は、どんだけモトチャンプを探してみても、ほとんどやることがない。
モンキーはこんなにカスタムパーツがあるのに。いいなぁ、モンキー。
ということで、モンキーを増車することになります。今思うと、それが僕のバイクキャリアの始まりでしたね。
モンキーは独学で、カスタムしました。マフラー、ボアアップ、ビッグキャブ、NSR50の足回り、ロンスイ、メーター交換、4Jホイール etc…。
武川のスペッシャルクラッチを買って、オイルクーラーも買って、必要な工具も揃えて、準備していた矢先、ツーリング中にエンジンがブローしちゃうんですね。
何度もバラし過ぎたエンジンだったし、お金がなかったから、組み直すときも新品部品を使っていなかったんですね。ピストンピンが外れて、シリンダーに噛み込んで、圧縮が漏れてしまいました。
結構泣きましたね…。愛情込めて作ってましたから。
で、思ったんです。
ちゃんとプロになりたい。
で、通っていた南海部品で働くわけです。(田舎あるあるですね)初めから売り場のことはわかっていたし、店員さんも僕のことを知っていましたから。
だから僕の変態キャリアの最初の修行は、南海部品です。
モンキーカスタムを担当して、フルカスタムの依頼に明け暮れていました。当時は、ヨシムラ88ccにTMR-MJN とか、CR-MINIとかFCRとか、キタコやデイトナの124ccDOHCとかも売りましたね。僕に(店ですけど)100万円預けるから、「いい感じに組んで」って頼まれる程度には、店員として成長することができました。
そのころから、メーカーのカタログを暗記するほどの熱量で勉強してました。各車種の、オイルフィルターの品番、ドレンワッシャーの内径、バンジョーボルトのピッチ、フロントフォークのパイ数、消耗品からカスタムパーツまで、とにかく、ありとあらゆるバイクの情報を暗記していました。
ヲタクすぎて、あまりにも素早く案内するもんだから、お客さんが不安がるほど。「ちゃんと調べてよ」ってね。(失礼な話だわ。)
そんな感じで、寝ても覚めてもバイクのことをインプットしていたある日。
突然別れは訪れるもんですね。(気づいちゃったんです。)
このまま南海部品で一生を過ごすのだろうか。と
毎日毎日、オイル交換、タイヤ交換、消耗品交換の受付…。南海部品では、これ以上バイクのことは学べない。もっとすごいところに行かなければ。
世界No.1を目指して
ホンダ・ヤマハ・カワサキ・スズキ、日本のバイクは世界一。
なにを以て世界No.1なのかという定義はありませんが、日本一の流通量を誇る場所で、国内外メーカー問わず、数多くのカスタムバイクを見て勉強すれば、それはもう、世界No.1なのではないだろうか。
つまり、日本でNo.1になることができれば、世界No.1になれるのではないか。そう考えた僕は、あっという間に転職をします。
毎日毎日、全国から、300台ほどのバイクが入荷する某所。
乱雑に積み上がったパーツを見て、車種・部品名・状態を特定。売れそうなものだけを写真撮影して、どのバイクに適合するのかを調べて、オークションに出品するという僕にとっては簡単なお仕事。
マフラーの形状、フランジの形、材質、などの情報だけで、メーカー・車種を特定させることができるようになりました。マフラーだけでなく、スプロケットや、エアクリボックス、フェンダーに至るまで、特定できなかったパーツはありません。
唯一特定できなかったのは、ヨシムラ製と思われるマグネシウムキャリパー。モーターサイクルショーで、ヨシムラのスタッフの方に聞いたのですが、当時のスタッフがいないとのことで、鑑定できませんでした。
それを6年間、約3万点をオークションで販売。
鑑定したパーツは40万点以上、売上は数億円。
楽しかったなぁ。
その職場の情報ストックも日本No.1だった思います。カスタムピープルなどの膨大な量のバイク雑誌、車種ごとのカスタム事例を紹介したムック本、ヨシムラ・モリワキなど、オートバイの歴史的な書籍、各年のメーカーカタログ、純正オプションからアフターパーツメーカーの過去のカタログetc…
さらにオークション会場では3年間、国産も外車も、毎日数百台のバイクを目利きする日々。おかげで「バイクを見る眼力」だけは無駄に鍛え上げられました。
プロ道楽師として
気がつけば、バイク漬けの人生。
世界No.1と自負できるのは、このような幸運な環境によるものです。
とはいえ、好きなことを仕事にするということ。
好きなことを仕事にして、家族を豊かにすることは難しい。
結婚した当初は、生活費のために趣味の道具を全て売り払い、バイクも1台を残して全て売却。バイクの仕事しかしたことがない僕は、転職も考えました。
そんな時期に、妻は「バイク乗りと結婚したんだから、バイクから離れないで。あなたがバイク業界にいることに、きっと意味がある。」と言ってくれました。
そんな感じで、今もおだてられながら、大好きなバイクを仕事にしていますが、一方で、文筆家として筆記具を哲学してみたり、マーケティングや経営戦略などのコンサルティングも請け負っております。
noteは、僕がこだわりと妄想をこじらせながら、日々の「相棒」について語る場所です。バイクに乗ること、手帳を書くこと、本を読むこと。
一見バラバラに見えるこれらの行為には、僕の中でひとつの共通点があります。それは──自分らしく生きるために、“吟味する”ということ。
noteで取り上げていくのは、いわゆるガジェットやアイテムのレビュー、ノウハウ、日々の気づきです。でも、それだけじゃありません。
バイクは、単なる移動手段ではなく、「自分のテンポで生きるための脚」
筆記具や手帳は、思考を整える「心の整備ツール」です。
ビジネス本は、視野を広げ、自分の“なぜ”を問い直すための窓です。
時計、バッグ、工具──
道具たちは、僕という人間を少しだけ形にしてくれる存在です。
ここで紹介していくのは、そんな自分のスタイルを支える道具たち。
僕にとって道具とは、生き方を補強する相棒なんです。noteは、そういう「好き」「知識」「こだわり」を、言葉にして共有する試みです。
「それ、知らなかったけどおもしろいね!」
「そこまで言うなら、ちょっと試してみようかな…」
──そんな風に、誰かの日常に小さな選択肢が生まれるなら、それが僕の道楽のかたちです。
どうぞ気楽に、でもちょっとだけ本気で。
最期まで読んでいただき、ありがとうございます。
「人の目は気にしないけど、自分のこだわりには超うるさい」僕みたいな人に届いてくれたら嬉しいです。そしてもし、何か刺さるものがあれば、気に入った道具のひとつでも、そっと手に取ってみてください。
あなたの生き方がちょっとだけ「自分のもの」になるかもしれません。
まるこフランキーでした。
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