自称ミュージシャンや自称アーティストが嫌い。プロのクリエイターは好き!
お世話になっております。
プロ道楽師まるこフランキーです。
今日は日本の人口の2%ほどいらっしゃる『自称アーティスト』の方達のお話です。
そもそもアーティストってなんでしょう、っていうくだらない定義ですが。
僕は『アーティストとは、センス』
そして、センスとは、『選択肢の広さとチョイスの正確さ』だと思っています。
なにも突拍子もないアイデアを具現化することが、アーティストではない。
例えば、一流ホテルのラウンジで演奏するなら、それに見合った服装と曲を。
あるいは、町内会の夏祭りで演奏するなら、じいばあ、子供達が喜ぶ曲を。
アーティストを名乗るなら、MCもできなきゃ話にならない。
「ぃぇぁ、盛り上がってるか、おまいら…。ふぅ、ふぅ…。次の曲、『俺たちのロック』おまいらついて来れるのかー!!」
って、ホテルのラウンジでやったら、白けますよね。それでも自称、アーティストなんですよ。
なんかアーティストを舐めてませんか?
選択肢を多く持っていて、そのチョイスがその場において、正確であることがセンス。つまり、アーティストだと、僕は思うのです。
親戚の子供達に「おじさん画家なんでしょ?アンパンマン描いて〜!」って言われて、
「おじさんはな、そういうのは描かないんだよ。」って言ったら、白けるどころか
「あっ、そ。叔父さん絵、描けないんだね。あっち行こうぜ〜!」で終了ですよ。
僕も親戚の前で禁じられた遊びを弾かされたことがあった。ギター弾いてたから、名刺がわりに練習したよね。
俺は、オレ流、俺の音楽は、響く人だけに響けば良い。
それは、それで素晴らしいですが、プライドが先行しているなら話は別。
センスを磨き、選択肢を増やす努力をしていないのに、プライドだけでアーティストを名乗るな。
逆に、センスだけあれば、プライドなんてなくても良い。
そう思うのです、僕は。
プライドだけやたら高くて、センスのない人達がとても多くて困ります。
では、どうしたらセンスを良くすることができるのか。
それは、いろんな体験をする。
これに尽きます。
ちなみに、選択肢の広さは、知識とは比例しませんから。
雑学や、知識だけしか持ってない人と話すとき、なんか話が鬱陶しくないですか?
奴ら、余裕がないんですよ。
ダジャレ一発かます余裕がない。
ダジャレは、その場を充分にシラケさせるリスクがありますから、帰りの燃料を積んでないんですよ。
知識でガチガチに固めていくと、正攻法しか選択できず、つまらないことしか言わない。
ChatGPTのような安いスピーカーになってしまう。
だったらChatGPTの方がいいよ、人間より、信頼できるし。
ダジャレもセンスですから。
人間としての揺れと情けとセンス。
これを磨くには、体験するしかありません。
センスのない自称アーティストのみなさまは、スマホゲームで戦争ごっこしてる場合じゃないんですよ。
富士演習場に行って、戦車の砲撃の圧を感じないと。航空ショーに行って、戦闘機の爆音とスピードを感じなきゃ。空気が振動して、恐怖する体験をしないと。
なにも戦争中の国にカメラを持って走り回れ、とまでは言いませんよ。
「あ、これは、なんでもぶっ壊せる殺戮兵器なんだ。」
こわっ、でもカッコいい…。
平和ボケしてる日本人なんで、それでも良いと思うんです。
戦争ネタのセンスを磨くなら、例えば、サバゲーでも良いと思うんです。
スナイパーとして意気揚々と準備をして、ギリースーツに身を包み、蚊に刺されて汗と泥にまみれて、ニッチ過ぎる場所に陣取ったもんだから、誰からも発見されず、射程圏内に誰も通過せず、1発も打たないで、1日5,000円の参加費を払った体験をしてみないと。
本当のところはわからない。
何の話だっけ?
あぁ、そう。自称アーティストの話だよ。
え、僕?
僕は、アーティストではありませんから。
では、また~。
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