ピッコロモータースの今後について
お世話になってます。ピッコロモータースの、まるこフランキーです。
今日はこれからの僕の話。
これまでの話
僕はこれまで、バイク用品店やバイク屋時代の経験、自身のライダー体験を、エントリーライダーの方に向けて記事を書いてきました。
ここで、正直にぶっちゃけますと、なぜエントリーライダーに向けて書いたか、という問題です。
あらかじめ懺悔しておきますと、大変申し訳ありませんが、崇高な理想やビジョンを掲げて、エントリーライダーの方に向けて書いたのではありません。
それは、1番マネタイズが楽だからです。マネタイズとはお金にするということです。
どういうことかと言うと。例えば、あなたは釣りを始めたいと思いました。そしたら、あなたなら、まず、どうしますか?
釣具屋さんに行って、どんなものがあるのか見に行きますよね?
良いものがあれば、買ってこようと思っている。でも、なにが良いのかわからない。
店員さんは、こういう風に言うでしょう。
「これから釣りを始めたい!?良いですね!釣りは楽しいですよ!中国の格言に『1日幸せになりたければ、酒を飲みなさい。3日幸せになりたければ、結婚しなさい。一生幸せになりたければ、釣りを覚えなさい。』というのがありましてね。あっ、話が脱線しちゃいましたね!(ガハハハ)まぁ、そのくらい釣りは面白いということです。そうしたらですね~、こちらが、入門セットとしてオススメです。釣りにハマれば、足りないポイントがあるでしょうから。そうしたら、好みのものをちょっとずつ買い揃えていけば良いと思いますよ。釣りにハマってくれれば、僕も嬉しいですし。また来てくれれば、もっと深い世界をご案内しますよ!(ガハハハ)いかがでしょう、お値段もリーズナブルです。」
あなたは買いますか?買いませんか?
ほとんどの方が、買いますよね。
なかにはAmazonで探して、レビューを見て、良さげなものをポチッとする。そんな人も居ると思います。ただし、めちゃめちゃ時間がかかるし、知識が無いから、失敗もある。
あるいは、驚安の殿堂ドンキや、近所のホームセンターでも、釣り具セットは売っているでしょう。
でも、なんかそれだとダメな気がする…。
まずは、プロが「これがオススメです!」というものを揃えれば、大きな失敗はしなさそう。
それはつまり、アドバイスする側に対する、反対意見が少ない。
「本当にそうなの?お兄さん胡散臭いよ。俺は入門セットじゃなくて、こっちの高級な竿を買うよ!金はあるんだ、バカにされるのも嫌だからな。」
こういうお客様がいても、店としては何も困らない。「あっ、そ。ありがとうございやした~。」どうせ辞めるだろうな…、二度と来るなよ~。それだけのお話です。
つまり、初心者には売りやすいから。
これが、僕がエントリーライダーの方に向けて記事を書いてきた理由です。
これからの話
まずは経営理念を語りましょう!ってことで考えてみました。
何かを徹底的に楽しむことに至上の喜びを感じる人たちが、その面白さを周囲に伝え合い、『生きがい』を伝播させるコミュニティが発生している世界で、僕はその円の中心に存在していたい。
これが僕の理想の世界。突然ナニ言ってんの?
意味がわかりませんよね。
実のところ僕は、人との関わりがそこまで好き、ではなかったんです。飲み会で積極的に前に出て行って、笑いを取るタイプではないのです。
どちらかというと、4→1と4→2→1の排気経路について、トルクと馬力、という論点で議論していた方が楽しい。
前提とするバイクは、CBRなのかCBなのかで大きく違う。CBの場合、材質はチタンか、ステンレスか、スチールか…。
隅っこで、枝豆とビールだけで永遠と語ることができる。こういう、ヲタクなところが僕にはある。
でも、気づいちゃったんだよね…。
仲間がいた方が、ゼッタイ楽しい。だけどそれは、人数が多ければ良いという訳ではない。
バイクだけじゃなくて、道楽に対して、似たような価値観を持った仲間が欲しいな。その仲間のひとりひとりが、それぞれ別の世界のヲタクだともっと楽しいよね。
人生が楽しみで満ち溢れている仲間の間で、常に新しい興味の対象が発生し、それぞれが僕らに熱く語っている。それを面白がって、みんなでワイワイやってみる。
そんな仲間がいたら幸福じゃなかろうか。そう考えるようになったのです。
そして、最終的には、仕事もその仲間たちとやっていきたい。
お金を稼ぐという活動においては、コミュニティ内の信用に足る仲間同士で仕事を与え合って、コミュニティの内部で循環させる。信用と創造的な活動がお金を生み出し、すべての活動は、誰かの熱い想いで創造した成果物であってほしい。
ただし、好みによるところがあるので、選択肢の幅は広く、多種多様なものが選び放題な世界観でないと、ダメな気がする。
コミュニティにおいては、それぞれの道のヲタクが対象を紹介してくれて、ソムリエのような抽象度の高いアート表現や、スペックを重視したガジェット的な説明など、表現方法には深さと幅があり、選ぶ楽しさに困らない。
こんなコミュニティがあったら楽しくないですか?
僕は、これからの社会は、小さなコミュニティの時代だと思っています。
どういうことかと言うと。さっきの釣りを始める時のように、世の中に情報がありすぎて、なにが正しいのか選ぶのが面倒くさい。
だったら、信頼できる誰かと一緒に物事を進めていきたい。そう思ってる人が潜在的に多いんじゃないかと。
僕なら、ここだけはAIに勝てるんじゃないかと思うのです。
仲間と一緒に道楽を探求しながら、人生の楽しみを見つけてみませんか?
という、僕からのお誘いです。
いまのお話
それでは、僕の今の現状はどうか。
もうちょっと自分の人生を主体的に生きませんか?って思うのです。
主体的とは、自分の行動に責任を持つことで、他責にしないこと、と定義します。
つまり、全ての結果は自分が導いた結果であるにもかかわらず、誰かのせいにしたがるマインドが、物事を良い方向に動かすことができない原因です。
大雑把に言うと、覚悟が足りない。
例えば、サラリーマンを辞めてしまえば、がけっぷちの状態になり、モチベーションなど考えている余裕もなく、動かざるを得ない状況に追い込まれるでしょう。
温室育ちのサラリーマンは、そういった厳しい環境こそが自身の成長になり、一生の武器となると憧れてたりします。僕がそうだった。
一方で、自身の成長と一生の武器は、サラリーマンのままでも入手可能だとも気づいています。
本気でなにかを全うする覚悟を得たいとき、他責で乱暴な方法で手に入れて良いのでしょうか。主体的にサラリーマン道を極めんと、地道な努力をするべきではないのか。
乱暴な方法で手に入れる覚悟に楽さと憧れを求めてしまうところに、主体的でなく受動的な判断に流れる人の弱さが臭う。
ここで言う楽さとは、自分で判断をしないことで、面倒な責任から逃れたいという心境が働いています。
サラリーマンを本気で全うする覚悟で、残りの人生を注ぎ込んだ場合、達成した時の効果・達成スピード・実現可能性などを鑑みると、合理的な判断であるのか否か、自身の知識や読書、Google検索では答えが導き出せない。
自分の知識の及ばない、想像ができない領域においては、他責にしたいという逃げや甘えの心が勝ってしまう。
それこそが、チャレンジすることを嫌い、何事もそつなくこなしたいと逃げ腰になっているのではないかと考えています。
そんなときに、AIだったら合理的なアイデアをくれるでしょう。しかしながら、まっとうな意見過ぎて、共感できない。それができればやってるわ!と怒りすら覚える。
仲間なんじゃないか
そこに、仲間がいたらどうですか?
一緒に道楽を探求しようと、ああじゃないこうじゃないと工夫する、地道な努力ができる信頼する仲間です。きっと参考になるアドバイスをしてくれると思います。
そんなコミュニティ、あったら良くないですか?
僕が作りましょう!名前はまだ決めていませんが、大人の道楽倶楽部みたいな。
そのためには、まずは共感してもらえる人達を集めなければなりません。
なので、ブログの記事をコツコツと積み上げていこうと思います。
地道な活動こそが、信頼感につながりますから。
そんな想いがあって、初心者向けのバイクブログから少し方向性を変えて、よりマニアックでヲタクな世界観を出していこうと思うのです。
みなさんがついて来れないくらいのヲタクでなければなりません。それは、性格的に勝手にできるのが、僕。
壁になっていたこと
では、今までは何が原因・障壁で、こんなに寂しい気持ちで生きていたのか。
それは、人の話を聞かないことが一番の原因だよね、って気づいたんです。
ここで言う「聞かない」とは、自分が負の感情になったときに人の話が「聞こえなくなる」現象で、自分の価値観というフィルターを通して世界を見ていることで、相手の発言をうがった見方で捉えてしまうこと。
そして、会話が相手のターンであるにも関わらず、自分の主張をどのように表現するかで思考に走り、相手の話が聞こえなくなる状態になってしまう。
人の話を聞かないということは、ひとつに信用を失いますよね…。
信用経済においては、相手にそっぽ向かれてしまうことが一番恐れる事態であると考えています。にも関わらず、自分の感情をコントロールできていないことが原因で、コミュニケーションに不具合が生じている。
具体的には、相手の発言に対して、否定的なスタンスでいなければならないという自己防衛が働いてしまうのです。結果的に人の話を聞かない。言い換えると、人の意見が入ってこない状態になってしまいます。
もうひとつ、人の話を聞かない原因として、相手を信用していないことにより「騙されてはならない」というブロックが発動してしまうこと。
これは、幼少期の実家の破産に影響を受けていると認識しています。
父には学がなく、人を信用してしまう気質もあり、連帯保証人として借金を重ねた。
バブルがはじけた時代だったのと、自分が子供だったため真相は定かではないのですが、母は常に「お父さんのように人を信じてはいけないよ、バカをみるから。」という教えを僕に説いたと記憶しています。
父のように騙されないようにするために、人の話を聞かず、自分の判断で物事を決められるようにと、勉学に勤しんできました。
知識量においては、ナンバーワンになれないと自分を認めてあげることができずにいました。絶対的な自身の価値よりも、相対的な評価を求めて、知識に渇望している状態。
バイクの知識を得るためには、地域に縛られてはいけない。全国規模の大きな組織に潜入し、そこで徹底的にバイクのことを学び、日本一になれば、唯一無二の存在になれると。
日本でバイクの知識No.1になることができれば、それは世界でNo.1ではないのか。
だとしたら、ディーラーのようにひとつのメーカーに縛られてはいけない。僕は、こういう戦略でバイク業界を渡り歩いてきました。
でも、僕にはもう、知識は要らないんじゃないか…。疲れたよパトラッシュ
市場のニーズを超えて鍛錬し続けることへのリスク。それは、ハードディスクが容量と小型化を競っていた時代、クラウドというゲームチェンジャーが現れたときの衰退に等しい。
僕の知識はいずれAIに奪われる。
であるならば、僕に必要なのは、仲間を集めることではないのか。
僕は、バイクに2,000万円以上お金を掛けてきた。お金は経験・体験を買う投資だという論調は認識しているが、本質的な意味で理解していない。というか、信じられていない。
ただ、バイクが好きだから、もっと知りたいから。
という理由だけで、所有してきた。
いろんなバイクをレンタルしてレビューしたり、案件としてインプレッションをするインフルエンサーの方達もたくさんいるけれど、僕は『所有』してきた。
…狂っている。
人生、死ぬまでに100台のバイクを所有する。という目標を掲げ、20代で30台弱を所有した。実家ぐらしで収入の全てを注ぎ込み、年間3台のバイクを買っていた計算になる。
残りの人生であと70台。
ところが、31歳で結婚した。
ペースは落ちた。でも、まだ更新し続けている…。
自分の価値観だけで生きるということは、僕の安全領域を超えることはなく、想像力もまた安全領域となってしまうのではないか。それが、頑張っても頑張っても、むなしい気持ちになっている原因だと感じるようになりました。
必要なのは、知識じゃない。仲間だと思う。
これから先の僕の生き方は、大きく変化していくと思う。
まずは、こいつ何言ってんの?と思われることから。
乞うご期待。
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